社会(歴史) 解説 2018年 岐阜県公立高校入試

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 大問1番は歴史から始まりました。かなり広い範囲からまんべんなく出題されていますので、学習の際にも偏りをなくしておくことが大切です。

 それでは、解説していきましょう。

 

1 百済

 aに当てはまる国は「百済」(くだら、ひゃくさい、ペクチェ)です。朝鮮半島では313年に高句麗が楽浪郡という中国の支配機関を倒したことで群雄割拠の時代となり、高句麗、新羅、百済の三国が覇権を競い合いました。当時の日本は大和政権の時代ですが、主に百済や南の伽耶諸国(加羅、任那)と連携して朝鮮半島の鉄資源を入手していました。日本軍が朝鮮半島に遠征して、新羅や高句麗と繰り返し戦ったことが、朝鮮半島の歴史書や高句麗好太王碑文などでわかっています。

 百済との友好関係は深く、百済からは王族が人質として日本へ渡ってくることもありました(新羅などもあります)。百済の聖明王の時には、仏教が伝わったといわれています(538年、552年の二説あり)。

 

2 イ b=口分田 c=祖

 大宝律令(養老律令)のもとで、戸籍に登録された民には口分田が支給され、祖・調・庸・雑徭などが課されました。問題文にあるように、祖は国や郡に納めるものでした(当時の国や郡は、いまの県や市町です)。班田農民たちにとって重い負担となったのは、実は祖ではなく、調・庸でした。調は特産品、庸は麻または労役ですが、いずれも都(奈良・平城京)まで自分で納める必要がありました。こうしたことから班田農民は口分田から逃亡したり、戸籍を偽ったり(偽籍)するようになり、律令体制は初期から危機に瀕します。その立て直しのために、743年に墾田永年私財法が出されることになりますが、根本的な解決には至りませんでした。

 

3 ア ⇒ ウ ⇒ イ

 このペースで解説していると、とんでもない文章量になりそうですが、始めてしまいましたからね。

 3番は年代順の並び替え問題です。年代順並び替えは想像以上に正答率が悪く、歴史的事実は覚えていてもどの順なのかがわからない生徒が多いようです。

 ア 聖武天皇が大仏造立の詔を出したのは741年です。時代は奈良時代。天平文化の時代です。

 イ 平清盛が武士として初めて太政大臣になったのは1167年です。平安末期、院政の時代です。

 ウ 菅原道真が遣唐使の停止を進言したのは894年です。平安中期、平安京遷都からちょうど100年です。

 894年は「白紙(はくし)(894)に戻す遣唐使」という語呂合わせが有名です。

 ところで、かつては「菅原道真により遣唐使が停止されたことで、日本独自の文化が花開き、国風文化が栄えた」という記述が多くみられました。岐阜新聞が主催している岐阜新聞テストやその予想問題などでも、国風文化についてのそうした記述が散見されますが、現在では、この記述は不十分であるというのが定説です。

 高校の教科書では2000年代初頭、中学の教科書でも2010年代中ごろから「唐風の文化を踏まえながら、貴族文化を土台に日本の風土や嗜みに合うように発展した」という記述になってきています。

 

4 12(世紀)

 源頼朝が守護・地頭の設置を認めさせたのは1185年です。この年が事実上の鎌倉幕府成立の年といえるでしょう。かつては、源頼朝が征夷大将軍に就任した年から、「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えたものですが、実質的な成立という方向へ修正されています。

 いずれにしても、源頼朝は1199年に落馬で死去したといわれていますので、正解は「12世紀」です。

 「世紀」は〇〇01年から始まり、△△00年で終わります。この場合、12世紀は1101年から1200年までということになるわけです。

 

5 勘合

 足利義満が始めた明との貿易は日明貿易という呼称もありますが、幕府の正式な貿易船と、海賊の倭寇の船を区別するために用いられた確認用の合い札=勘合から「勘合貿易」とも呼ばれます。何のために用いられたかも含めて重要事項なので、しっかりと覚えておきましょう。

 ちなみに、足利義満の死後、息子の4代将軍・足利義持は勘合貿易をやめてしまいます。理由ははっきりとはわかっていませんが、幕府が中国の皇帝に臣下の形をとる「朝貢形式」が不満だったからだといわれています。中国は外国との貿易は朝貢形式しか認めていませんでしたので、正式な貿易は、先の問題の遣唐使停止以来のことでした。

 のちに6代将軍・足利義教の時に勘合貿易は再開されます。再開の理由は経済的メリットで、朝貢貿易は輸出より輸入で大きな利益を上げることができたからです。応仁の乱などを境に幕府の力が弱まると、勘合貿易の主体は細川氏や大内氏という守護大名になっていきます。そして、1523年に中国の寧波で両氏が争い、大内氏が勝ちますが、それからまもなくして大内氏は滅亡し、勘合貿易は終了します。

 

6 千利休

 豊臣秀吉に仕えて、侘び茶となれば、千利休です。侘茶につながる流れとしては、村田珠光、竹野紹鴎、千利休という順ですが、中学なら千利休だけで十分です。

 特定の芸能、芸術分野での第一人者はよく問われます。代表的なものは、能=世阿弥、彫刻=運慶・快慶などです。紫式部、清少納言なども頻出です。

 

7 (1)農業から離れた労働者を雇い入れ、工場で行われた、分業と協業による手工業的生産(2)ア

 

 (1)は工場制手工業(マニュファクチュア)の説明問題です。解答のポイントは、「工場で」「やとわれた(賃)労働者が」「分業による」「手工業」を行ったことです。機械を貸し出す問屋制家内工業に比べ、土地を失った百姓らが都市へ流入して賃労働者となり、工場での生産活動に従事することになったことで生産量は大きく飛躍します。工場制手工業から大工業への発展がヨーロッパでも資本主義の発展の過程ですが、日本もほぼ同じ流れで進行します。

 (2)はグラフから「イギリス」を選ぶ問題です。ア、イ、ウはイギリス、アメリカ、オランダのいずれかですが、1858年の開国(安政の五か国条約)以後の主要な貿易相手国がイギリスであったことを知っていれば、すぐに「ア」がイギリスだと判断できるでしょう。

 しかし、1858年に最初に修好通商条約を結んだのはアメリカだったのに、なぜアメリカが主たる相手国にならなかったのでしょうか。一番大きな理由は、1860年代にアメリカでアメリカ史上唯一の内戦=南北戦争(Civil War)が勃発したからです。リンカーン大統領に反発する南部諸州が連邦を離脱し内戦となり、1865年の北軍勝利まで国内は大混乱となり、日本との貿易どころではありませんでした。もともとアメリカにとって日本は捕鯨や中国へ進出するための補給地点という程度の位置づけで、最大の狙いは中国進出でしたが、この南北戦争で大きく出遅れたことで中国、特に満州をめぐって明治政府以降の日本と激しく争うことになります。

 オランダは正式な外交関係ではなかったものの、江戸幕府とオランダ東インド会社の間に長崎貿易が行われていました。しかし、1800年代初期にオランダはナポレオン戦争の渦中にあり、イギリスとも貿易をめぐって激しく争った末に敗北します。

 以上の理由から、イギリスが「ア」となるわけです。

 

8 (1)文明開化 (2)エ f=中江兆民 g=自由民権運動

 (1)「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」は有名な言葉ですのでよく覚えておきましょう。明治時代になり、国策として近代化がすすめられるなか、廃刀令などもだされてちょんまげを結った侍もザンギリ頭に洋装をしていくようになります。街路にはガス灯がならび、レンガ造りの建物が建設されるようになっていきます。

 ちなみに「開花」と間違えないように注意しましょう。 

 (2)は時代から考えればg=自由民権運動は明らかです。尊王攘夷運動は幕末の思想ですからね。西洋の啓蒙思想を日本に紹介した人物は数多く、福沢諭吉も「西洋事情」という本を書いています。しかし、「東洋のルソー」という二つ名を持つのは中江兆民の方です。

 

9 ウ 民本主義

 大正デモクラシーの基本理念となったのは、美濃部達吉の天皇機関説、そして吉野作造の民本主義です。「民主主義」と間違えないようにしましょう。

 三民主義は中国で辛亥革命を行った孫文の思想です。資本主義、社会主義は経済にかかわる用語です。社会主義については経済だけでなく思想、経済、体制などさまざまな使われ方をする用語ですが、中学レベルで詳しく聞かれることはあまりありません。 

 

10 農地改革

  第二次世界大戦後、GHQの指示により実施されたのが農地改革です。GHQは戦前の日本が無謀な戦争に向かう中心的な基盤となったのが、財閥=独占資本と大地主制と判断し、その解体によって日本の体制を変革しようとしました。財閥解体は、過度経済力集中排除法の実施が不十分だったこともあって、大企業体制はのちに復活していきますが、農地改革についてはかなりのレベルで大地主制は解体されます。もちろん、すぐに実施できたわけではなく、初期の第一次農地改革は農地調整法の改正でお茶を濁そうとしたところ、GHQの厳しい指摘を受けて徹底的に大地主と小作農を減らすための、自作農創設特別措置法が制定されます。

 小さな土地を家族で経営する日本型農業の基礎がこの農地改革によって実現しますが、一方で、国際競争力をもった資本主義的経営を行う農業は発展しづらい状況となりました。

 

11 ア

  三種の神器、新・三種の神器、御三家、新御三家など、3つをセットにするのはよくありますね。

 白黒テレビの特徴は洗濯機や冷蔵庫と違い、ある時期から急激に需要がなくなっていくことです。理由は簡単でカラーテレビが普及していったからです。カラーテレビがあるのにあえて白黒テレビを買う必要はありませんからね。そういう理由で激しく下落する「ア」が正解となります。

 この問題などは記述式で説明させても面白い問題でしたね。

 

 以上、2018年の歴史分野についての解説でした。有隣塾では社会でもこのレベルで解説をしておりますので、高校レベルでも十分に通用しますよ。