羽島市の学習塾です 竹鼻中 羽島中 中央中 中島中 桑原学園 の生徒を待っています。
塾長 鈴木知温

有隣塾とは

1.創立は1966年、羽島市に移転したのは1972年

 

 有隣塾は先代塾長が1966年に岐阜県恵那市で創設しました。大学卒業後、中学の教員を務めた後に、「真の教育は民間教育でこそ実現できる」という信念を持って始めました。その後。1972年には羽島市に本部を移転し、現在のところ創立57年目、羽島市で52年目を迎えています。

 これまでに有隣塾を卒業した生徒は2000人を超えています。

 

 2.楽しくなければ勉強じゃない

 

 有隣塾の合言葉は「楽しくなければ勉強じゃない」というものです。

 この言葉には、新たな知識を獲得する喜び、習得した知識から新たな発見をする喜びをすべての子どもたちに体験してほしいという思いがこめられています。努力できるようになっていく楽しさ、自らの成長を実感できる楽しさは、将来、子どもたちが成長して社会に羽ばたいていったときに、必ず力になってくれます。

 有隣塾の学習は、いま学んでいることを通して社会で活躍できる土台を形成することを目標にしています。だからこそ、成長していく楽しさを感じてほしいのです。

 

 3.安心の実績と確かな哲学

 

 有隣塾は上位校と呼ばれる一部の学校への進学のみを目指す学習塾ではありません。

 もちろん生徒の中には岐阜高校をはじめ、進学実績の高い高校に合格した生徒も大勢いますが、すべての子どもたちに学ぶ楽しさと成長の楽しさを感じてもらうことを目指している私たちは、中学生のたかだか400点程度で生徒を「区別」し、現在の能力を固定的なものとして捉えることはしません。

 「子どもは発達の可能態」(堀尾輝久東大名誉教授・教育学)です。啓蒙思想家として知られるルソーが「生まれたときに私たちが持っていなかったもので、大人になって必要なものは、すべて教育によって与えられる」と述べたように、教育によって、子どもたちは飛躍的に発達していく可能性を持っています。

 有隣塾の生徒でも、当初はどの科目でも40点を取れなかった生徒が1年半後には全教科90点近い得点を取ることができるようになった例なども多数あります。もちろん、短期的に飛躍できるかどうかは個別的な事例です。どの生徒も必ず1年で結果が出るわけではありません。しかし、有隣塾の教育によって得られたものは、社会に出たときに必ず生きる財産になると確信しています。

 私たちがこの立場に立てるのは、「物事を固定的な境界を設置してとらえない」「事物は常に変化するものとしてとらえる」という弁証法哲学の立場に立っているからです。

 だからこそ、「〇〇高校△△人合格」「上位校のみを対象にしたエリート塾」などという空虚な文言ではなく、哲学にもとづいた信念のある教育を実現できるのです。

 

 4.社会に羽ばたく卒業生たち

 

 有隣塾を卒業した生徒たちは、いま、社会の各分野で活躍しています。

 地元の羽島市で会社経営をする人学校の先生の中にも有隣塾の卒業生は大勢います。世界的な有名企業に就職して活躍する人地元の企業で頑張っている人もいます。自らの学習塾を経営している人もいます。その他にも、医師、教師、大学教員、カメラマン、新聞記者、デザイナー、研究者、プロ野球選手など、本当に幅広い分野で活躍しています。

 有隣塾での学びを経験した人たちが社会に羽ばたき、これからの世界を主人公として担っていく。そういう人材を教育によって排出していくことが、これまでもこれからも私たちの大きな目標です。