早いもので、有隣塾を引き継いでから10年がたとうとしています。
塾長だった父が多発性骨髄腫のために死去したのが、2009年9月17日でした。
前年の秋に2度目の骨折による入院の際に病名がわかり、なんとか1年弱は頑張りました。
もともと、私がまだ大学生だった1996年7月に急性腎不全で倒れて以降、半ば療養のような生活をしていた父でしたが、まさか66歳という年齢で旅立つとは想像していませんでした。
2001年に東京での仕事を辞めて、岐阜に戻り、塾を手伝いながらアルバイトをしたりしていました、父が入院した時は一時的に有隣塾を離れ、兄とともに名古屋の個別指導塾で働いていました。
そちらの仕事にけりをつけて、3年ぶりに有隣塾に戻ったのが2009年3月でした。それまで、前年11月や正月前後など生死の境をさまよっている時期があり、戻ってくるまでもつかどうかも不安でしたが、当時担当していた生徒たちの受験だけは見届けるというのが、大人としての責任でしたので、3月に戻ることになりました。
それまでも病気がちだった上に、前年は岐阜で働いていた兄が昼夜掛け持ちで塾を見ていたこともあって、引き継いだ当時、本校の生徒の数は極めて少なく、私が教えていた3年前からいる生徒が半分以上という状態でした。
あれから10年。
有隣塾では小学4年から高校3年まで指導しているので、引き継いだ時にいた生徒で現役の生徒はもういません。完全に2代目体制に入りました。もっとも、現役の塾生のうち、元塾生の子女もそれなりにいますので、先代と当代のハイブリッドといったところでしょうか。
この10年、いろいろな生徒を教えてきました。一人ひとりが個性的な特徴を持った生徒たちで、みな印象に残っています。私自身の指導も随分と変化したと思います。生徒や保護者との向き合い方にも変化が出てきたと思います。
少子化も進み、加えて大手の商業塾が乱立する羽島市で、個人塾が旗を掲げて闘い続けるのは厳しい時代ですが、有隣塾を信頼して通ってくれている生徒たちのためにも、次の10年を頑張ろうと思います。